星田妙見宮ご由緒  桓武天皇 ~ 空海

 

≪御祭神≫

 

【本座】

天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)

高皇産霊大神(タカミスビノオオカミ)

神皇産霊大神(カミムスビノオオカミ)

仏教では北辰妙見大菩薩

道教・陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神

【鎮宅社】
太上神仙鎮宅霊符神

【三宝荒神社】
三宝荒神

【豊臣稲荷社】
保食大神

【竜神社】
金色龍王

【下社稲荷社】
倉稲魂大神

【祖霊社】
歴代宮司、社守の御霊

 

 

当宮の縁起によりますと平安時代、嵯峨天皇の弘仁年間(810~823年)に弘法大師が交野へ来られた折、獅子窟寺吉祥院の獅子の洞窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、それらの星が3ヶ所に分かれて地上に落ちたと言います。この時よりここに[三光清岩正身の妙見]として祀られるようになったと言われています。七曜の星が地上に落ちた場所は大阪府交野市星田の高岡山の南にある星の森、光林寺の境内の森、そしてもうひとつが星田妙見宮が鎮座する妙見山です。この3ヶ所の1辺が八丁(872メートル)あったことから「八丁三所(はっちょうみどころ)」と言われるようになりました。以来、これらの石を影向石(ようごうせき)として祭ることになったと言われています。【妙見山影向石略縁起】による。

影向石(ようごうせき):神が降臨する際に御座(みくら)とするといわれている石。

 

遥か2000年以上も昔。星田妙見宮が鎮座する交野ヶ原(大阪府交野市・枚方市の丘陵地を指す古来の名称)は日本で初めて天神が咆ヶ峰(たけるがみね)に降臨した聖地であり、その天神の子孫である物部一族の本拠地でした。

桓武天皇が長岡京遷都達成の神恩感謝として、786年に交野ヶ原の柏原において歴代天皇で初めて郊天(北辰)祭祀を行い、そしてその桓武天皇の郊天祭祀から31年後、空海が北辰を星田妙見宮で祀り、さらに桓武天皇の皇子である嵯峨天皇、淳和天皇がたて続けに星田妙見宮へ行幸した記録が、当社縁起に残っています。

 

                    ■郊天祭祀:古代中国において都の郊外で行われた祭祀で, 円丘を築き冬至の日に「天の神」を祀るもの。円丘祭とも呼ばれる。

                    ■北辰:北極星すなわち「こぐま座α星」の中国名。古代中国では北極星をこう呼んだが、日本に伝わり仏教の妙見菩薩と結びつき北辰妙見と呼ばれるようになった。