妙見信仰について  肉眼・天眼・慧眼・法眼・佛眼

空海(くうかい)上人は、幼名は佐伯 眞魚(まお)といいます。阿波の大瀧岳(現在の太竜寺山付近)や土佐室戸岬などで虚空蔵菩薩求聞持法を修したとされますが、とくに室戸岬の御厨人(みくろ)窟(ど)で怒涛逆巻く室戸岬の岩頭に座禅し、絶え間ない厳しい修行の末、明け方、口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできたと伝えられます。宇宙に遍満する無数の星々。そして中の一つの星の上にて生かされている我。宇宙そのものが生きている。人間と同じように 生まれてくる星。死んでいく星。そして、その星々も星雲として一つの形をとり大宇宙となっている。その沢山の星雲が群れをなし、この宇宙そのものがこれ全て法身仏(ほっしんぶつ)の力なのだと。このとき空海は悟りを開いたといわれます。その時、眼下の海も空も全てが一つのものに感じられ、自らの名前を「空海」とされる起因となったといいます。幼少の海の魚、真魚から宇宙に羽ばたき宇宙空間に座し、銀河の生成・発展・消滅を俯瞰(ふかん)したに違いありません。

古来より、金星は日没後の西空に一番星として出る宵の明星,または日の出前の東空には明の明星として、その主管圏の中で一番明るく輝く存在を象徴して、庶民の星信仰として発達しました。虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩という意味です。空海にとっては、虚空蔵菩薩は悟りの原点であり、虚空蔵菩薩を思念することによって、無限の智恵と慈悲の仏眼を開かれたのです。この空海の仏眼が、後に佛眼佛母尊に感応することによって、星田の妙見山において、妙見菩薩という仏が御出現され、空海の妙見信仰が確立するのです。

密教においては、あらゆる佛の母といわれる佛眼尊(佛眼佛母)は、五眼の徳をもった佛智(佛さまの智恵)を象徴しているといわれます。五眼というのは、肉眼、天眼、慧眼(けいがん)、法眼、佛眼のことで、五眼について「大智度論」というお経の中に「肉眼は近くを見て遠くを見ず、前を見て後ろを見ず、上を見て下を見ない。天眼は、前後、上下、遠近は見るが物の実相(真実)を見ない、慧眼(けいがん)は、真実を見抜き智恵を得ているがその智恵が自分一人の内にとどまっている。法眼は、自分や人々のそれぞれの立場において何をすれば良いかを見ている。佛眼は、万物の普遍性に通じている。」と説かれています。しかし、肉眼だけでも、天眼や佛眼だけでも物事の真実は見ることは出来ません。五眼をもってはじめて、物の真実を見極めることが出来ます。佛眼は、注意深く万物を見透おす眼力を表現しており、かって釈迦は頭頂部(佛頂)から光を放ち、その神通力によって苦の衆生を救い給うたといいます。この佛頂から放たれる光の呪文として、深い瞑想の境地に至った如来が説いた一字の真言ボロンの一字金輪仏頂の霊験をもって、実相(真実)を侵す悪神を正法に気付かせ、仏眼仏母尊が穏やかに説得する摂(しょう)受(じゅ)によって衆生を教化する、つまり、一字金輪仏頂の霊験の輪宝によって気付かせられたものは、真実の眼を開く仏眼仏母によって善神として蘇るといわれます。

私達は、大きな宇宙の実相世界の中にあって、常に未知の世界に向かって進んで行くとき、そこには確かな目でものを見、判断していく眼力が必要となります。妙見菩薩の妙見とは「優れた目を持つ」ことであり、全ての人が、実相世界の中の真実を見定めるために、自らの眼を肉眼としてだけではなく、佛眼にまで高めていって欲しいという仏母の誓願が、妙見菩薩として現れておられるのです。

大蔵経の中には、「七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪経・第二」(西暦260~270年晋代譚)に、「諸法の実相を知見し、衆生界に向かって難思の妙用を垂るるが故に妙見という」と説いています。

北辰妙見信仰は、北極星が天体の中で不動の中心におられる宇宙の根源の大霊として「北極星(=北辰星)」を高貴な星として崇め、北極星とそれを補佐し万物に恵みを与える北斗七星を神格化し、妙見菩薩、天之御中主大神、鎮宅霊符神とした信仰です。

この宇宙の全ての星々の営みも、我の営みも本来的にはかわるものではありません。全ての営みが、宇宙では連結し結ばれており、全ての調和こそが、妙見信仰の本願であります。私たちの社会は一時として静止することなく、時とともに流れています。この世は不均衡のほうが多いともいえます。その時々の不均衡を調和にもっていくことこそが、私たちの本来の役割であります。均衡、不均衡の絶え間ない動きの中でこそ、本来の実相真理が見えてきます。この実相真理としての調和の揺ぎ無い肯定が、私たちのこの世に利益(りやく)をもたらします。我だけの利益は、必ず不均衡の要因を生みだします。妙見信仰は現世利益の信仰と申されますが、利他の中に、現世での均衡の連鎖によってもたらせられるものが現世利益であります。相共に生きる共生の中に、妙見様の加護があります。


 

【妙見山影向石略縁起】貞観17 (875) 年
「そもそも、当山人皇五十二代嵯峨天皇の御宇(ぎょう)、弘仁の頃、弘法大師京都を立出て、有縁霊場尋給ふ。折節、私市観音寺と申けるに滞留し玉ひ、虚空蔵菩薩求聞持(こくうぞうぼさつぐもんじ)の法を修業されけるに、悉地(しっち)円満成就ましましける。其夜の暁に、厳然として、佛眼仏母の大光明を放ち、其の数十丈に餘り玉へる尊容を拝見したまひ、斯かる希瑞の霊現感應道交に預ることの有難さよと思召、暁を払て其出現の尊を尋(うかが)いたり、見給へば、今の獅子窟山吉祥院の獅子の岩窟佛眼尊と拝見なされしなり。大師是より此獅子の宝窟に入りて、佛眼尊の秘法を修し玉ふに應じて、天より七曜の星降臨したまひ、擁護し玉ふ時に、此星伊宇の三點のごとく当村の三ケ所に下り玉ふ故に当村を三宅庄星田村と号して末世に其現瑞を伝るなり。就中此山は霊場なるが故に、弘仁七丙申年右弘法大師、高野山開き給ふて後、再び此山に登り玉ひ、先年星辰影向(ようごう)し玉ふ此霊岩を拝見したまふに降臨宣なる哉、北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳、神仏の宝宅諸天善神影来会の名山にして、山は高きにあらねども茂林森々たり、松樹万碧鱗を粧ひ、山川相めぐらして蒼々たり、として、□□誦経し、開眼供養し玉ひ、四海泰平五穀豊饒国家擁護の霊場と双岩開眼供養し玉ふゆへに、一度参拝の輩、七難すみやかに滅し、七福たちどころに生じ、武運長久息災延命商売繁昌子孫栄楽福智円満の希瑞霊鹸あらたかなること記すいとまあらず、今にいたりて毎夜々々霊□昇降する事、見聞の人すくなからず、古今同じければ、世之人に問うてとるべし。委しくは本縁起にありなん。 河州交野群 三宅庄星田妙見山竜降院」